「商品」という言葉

私は、自然食品の流通をするようになって、前職も含めると20年ほどになります。当初から、あまり「商品」という言葉が好きではなく、会社で使うことはあまりありませんでした。

確かに、売っているものなので、「商品」という言葉が間違っている訳ではないのですが、新しくスタッフが入ってくると「私たちは品物を売っているのではなく、その背景にある全てを生産者とお客様の間に入ってお届けしているんですよ。」とか「『モノ』より『コト』が大切なんですよ」という説明をします。

ただ、直接、商品(あえて使っています)の開発に直接従事しているスタッフではない場合、つい「商品」という言葉を使ってしまうことがよくあります。これはある意味仕方のないことで、モノの背景にはコトがあるんですよといくら言ってみたとしても、実際に現場を見えていなければやはり「会社が売っている商品にすぎない」という気持ちをぬぐうことは難しいのです。

そんなこともあって、直接商品開発と関係ないスタッフであっても、可能であればできる限り製造や生産の現場を見に行って欲しいと伝え、作っている人の話を聞いて欲しいと考えています。小さなお子様を子育て中で京都を1歩も離れることができない人は仕方ありませんが、そうでなければ、できる限り生の現場に触れ、作り手の話を聞いて欲しいと願っています。1カ所でも2カ所でもいけば、幾千の会社が取り扱っている品が、そういった背景をそれぞれに持っていることが推察できるはずだと思っているからです。必ずしも、そういう想像力を広げられる人ばかりではありませんが、思いの力のすごさを少しでも感じて欲しいと願ってのことなのです。

「商品」である「作品」が力を持つのは、その思いの力です。誰かの幸せを願い、真摯に向き合って丁寧に創られたものには、素晴らしい力が宿ると信じています。それがお客様に通じたとき、奇跡的なことが起きるのです。

 

そんなことをもう自社で17年ほどやってきて、自分もものづくりをするようになって2ヶ月ほどが経過しました。先ほど、お客様に農産物の説明のとき、「商品」という言葉を使っているスタッフについ注意してしまったのですが、自分が何かを心をこめて、否、それ以上の気持ちで何かを織り出したとき、それを示す言葉が「商品」であると、カツンときてしまうのです。

この数日、個人的にとても胸が痛む出来事がありました。もう、息をするたびに辛い思いが去来するのですが、そういったときに、今までの単純な流通業者である私たちであれば、お客様がそのような気持ちを抱えておられるときに、誰かが作った何かをお届けするのが精一杯で、創造の最初からその思いを込めることはできませんでした。

しかし、もう、違います。私にはジェラートを創るということも、必要ならばお菓子の類いなら何でも作り出せる設備もあり、人材もいます。

>>こちらの記事などでも書いてきたように、私が作りたいのは単なる甘いものではありません。もしかしたら、誰かが辛い思いを抱えているときに、そんな全てを水に流してくれるような、そんな食べものを作りたいのです。それはときにおいしいというセンセーションを巻き起こすのかもしれませんが、単においしいだけではない、それ以上の何かを、私は求め続けていきたいと心を新たにしています。

私が作りたいのは、ビジネスのための商品ではありません。作品でもなく、まさに、我が子、我が分身とでもいえる、何かなのです。

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